tadashi's blog

私は在野の研究者です。日本語教師をしながら、日本語の「は」「が」の使い分けを解明する理論に至りました。それから、この理論を文法基礎理論として体系化し、また、それらを裏付ける哲学的かつ科学的に裏付けの研究に進みました。

はじめに⑤ ⑹<基礎理論の体系性の利点>

⑹<基礎理論の体系性の利点>

 文の二元性を原理として、理論に体系的関連性を備えさせることの利点には次のようなことがある。

 

 ①[文の原基形態としての基底文]

基底文の理論により、あらゆる文の原基的形態となる形式と機能を確定で

きること。これは、また、日本語文の二元論の原理でもある。また、さらに、尾上圭介が指摘する、日本語文の形式と機能の一致点が見出し難いという、別の理論的課題への解答が得られる。じつは、「は」と「が」の使い分けという課題とこの課題は、密接に関連し合っているのである。

 

 ②[提題の「は」の位置づけ直しと「主語」の定義の確定]

「は」の基底機能である判断文の主格につく「は」と、汎通的に様々な文の構成要素につく、「は」の「取り立て」機能を分けることにより、基底文より上位の日本語の基本構文形式とその機能を明示できる。

 本書の基本構文とは、形式的に「XはY」「XがY」「XはYがZ」となる文型を、基底文からのどのような派生であるかによって分類したものである。

 こうすることで、私たちは、日本語の「主語」を、

⑴述語と直接結合する主格がそのまま構文上の主語になっているもの、

 

または、

 

⑵主格成分を含意し代理となる成分、つまり語の範列性を利用して特定の主格を示唆しつつ、統語レベルで述語に直接結合すべき主格成分を含意する機能を担い構文上の主語になっているものとして、定義できる。

 

 先例の「教室ではテストをしています」は、「教室では」という状況語句で文の命題内容が成立する「場」に関する情報の提示と自明な主格の省略という二つの機能を果たしている。こうした構文構成機能を担う「は」ではあるが、主格そのものではない。

 

 日本語の「主語」は、このふたつと定義することが可能である。

 

 ところで、この「場」を示す語句が、文単位では不確定であることに注意されたい。もとより、談話・文章単位においても、「主題」とできるかどうかは文脈次第で「主題」にも「悲主題」にもなりうる。

  「主題」機能は、厳密には、談話・文章レベルの単位にのみ、全体の内容の観点から位置付けるべき機能である。つまり、文形式や形態素のみから、事実上の「主題」を決定できないし、すべきではないことも明らかにする。

 

 ③[日本語にも備わる自然言語としての側面の開示]

 基礎理論は、提題の「は」の構文構成機能と主格—述語の統語レベルを統合する理論である。

 「主題—題述」構造とそれを表示する「は」が日本語の特質の表れであるとしたならば、基底文の統語レベルで起きている文法現象は、自然言語に備わる統語レベルの普遍的機能を日本語が具体的にどのように果たしているかの表れである。

 また、基礎理論の立場では、「は」という題目表示機能を担う形態素なしでも文には必ず、主格と述語を軸とする「統語構造」と文をやりとりする際に不可避的に生じる「題目—題述」構造が存在するとみなす立場である。

 本書の研究内容を、研究史の文脈に位置づけるならば、提題の「は」を巡る諸説と三尾砂の「現象文」「判断文」の文の二元論を統合するものである。