はじめに④ ⑸<基底文の二元性原理の主格と述語について>
⑸<基底文の二元性原理の主格と述語について>
基礎理論の利点は、「は」と「が」の使い分けの理論的解決以外にもある。
それは、日本語文法理論の原理の提示である。
原理は、誰でも当然だと納得できる文に備わる事実である。すなわち、統語レベルの主格と述語が文を構成していなければ、文の基幹部分である命題内容を構成できず、文としての最低条件を満たせないという論理的意味充足の原則に基づいている。
ただし、日本語の実際の運用では、広義の文脈により自明な主格などは省略される。ところが、先行研究は、日本語の運用形態を観察して、自明な主格主語が頻繁に省略される現象を理論化していない。そこで、三上説の影響により、主格と述語が日本語文に必ず備わっているという自明な文法事実を見過ごしている。
たとえば、「教室ではテストをしています。」のような文は、主語なし文の例とみなされることがある。しかし、この文は、動作主の「教師が」が場所の「教室では」によって自明であるから省略が可能になっている。このような文が、日本語の「主語」の確定、定義を困難にしていることは認められるが、「主格」の非存在を証明する例とはならない。なぜなら、「教室では」を取り除いた「テストをしています」が、なんらかの広義の文脈条件なしに意味を充足しないからである。