tadashi's blog

私は在野の研究者です。日本語教師をしながら、日本語の「は」「が」の使い分けを解明する理論に至りました。それから、この理論を文法基礎理論として体系化し、また、それらを裏付ける哲学的かつ科学的に裏付けの研究に進みました。

はじめに③ ⑷<二重コピュラ言語としての日本語>

⑷<二重コピュラ言語としての日本語>

 

 ⑴「は」と「が」のふたつとも、主格と述語の直接結合を示す機能があり、かつ、

 ⑵文の命題内容の異なる二つのタイプ(出来事命題と関係命題)に合致する一方で、さらに、

 ⑶さらに認識論的、かつ、論理的機能を担い、交差する二重コピュラシステムとする見方を本書で提起する。

 

 出来事命題文は、現象学的分析などにより理論的に彫琢して後に「事態」文とする。

 関係命題とは、形式論理の外延的意味論から分析して、語の指示対象としての個体に関連付け、指示対象に関するそれぞれの属性述語、性質述語、状態述語などがつく文の総称である。

 こうして、基底文は、次の二つに限られる。

A出来事命題の主格と述語の間に「は」が入る文→無標の出来事文

B関係命題の主格と述語の間に「が」が入る文 →無標の関係命題文

 交差対立理論は、上の助詞を入れ替えると文全体を有標化し、文脈との合成によって特定の含意が生じることの説明である。

 三上説以降優勢な従来の「は」を提題本務とし、「が」を文法的に(つまり、純粋に機械的な統語レベルで)機能する主格とするだけでは、認識論的見地からも、また、論理的意味の見地からも、日本語文の機能の本質を把握できているとは言えない。

 そのような問題をはらむ把握の代表的な例は、「主格+は」の文は、「主格+が」の文と比べて、文のレベルが異なるとする説である。これは、三上章の「は」の主題提示本務説の根拠のひとつである。

 この三上章の研究による諸命題についても、本書の基礎理論の立場から、検討する義務が生じている。三上説と拙論の相違点が示すのは、日本語の文の本質把握をめぐる対立葛藤でもある。したがって、三上説に関する基礎理論の立場からの批判的検討は、本書の理論の主張を明確にする上でも有益であると思われる。

 「象長い」の「は」「が」についても、二重コピュラシステムという観点から、説明できる。このことは、統語構造を起点に、交差対立理論の理論を媒介として、基底レベルの文から見て上位機能である構文図式が構成されているという見方につながる。

 

 以上が、日本語学の基礎理論として、体系を構成する諸命題の基幹部分である。このように、筆者の提起する日本語文法の基礎理論の主要論点は、文法現象の形式論的機能論的分析を踏まえることはもとより、文法理論、認識論、論理学をリンクさせた理論である。

 では、「は」の提題機能を基礎理論の体系のなかではどう扱うかというと、提題機能は、基底文を基盤として初めて可能となる上位機能として位置付け直す。