tadashi's blog

私は在野の研究者です。日本語教師をしながら、日本語の「は」「が」の使い分けを解明する理論に至りました。それから、この理論を文法基礎理論として体系化し、また、それらを裏付ける哲学的かつ科学的に裏付けの研究に進みました。

はじめに⑦ ⑻<三上説の問題点>

⑻<三上説の問題点>

 しかし、基礎理論を提起する立場からは、あたかも原理のように無謬性を前提にされる「は」=主題表示本務説は、その理論の形成段階と適用段階の両方で、誤っていることを指摘しなければならない。

 

・文分析方法の誤り:無題化、ピリオド越え

 具体例のひとつは、無題化と称する、「象は鼻が長い」という文を「象が鼻が長いkoto」とパラフレーズして、「は」と「が」および、文のレベルが異なるとする分析法、その帰結となる文のレベルの区別、有題文・無題文の区別は、日本語の理論としては、端的に誤りである。

 「は」の主題本務説のもう一つの根拠、ピリオド越え現象の指摘も誤りである。

 次の会話例を反証としてあげる。

 A「新聞を持ってきてくれ」

 B「そこにありますよ」

Bの省略した主格を補えば、「新聞はそこにありますよ」である。対格の「を」もピリオド越えをする。

 「私に一人います。(兄は)商社に勤める会社員です。」主格の「が」のついた語もピリオド越えをする。しかも「は」のついた「私には」をさしおいてピリオド越えしている。

 次の理論適用の誤りと対比させるなら、理論導出の誤りである。

 

・理論適用の誤り 

 研究対象である日本語への三上説の理論命題適用には、次のような不備がある。

⑴「は」のある文すべてに「主題」を認めるのは過剰な一般化である。たとえば、「わたし泳ぐの諦めた」(奥田靖男の指摘)

⑵一方、「は」のない文すべてに「主題」関連性を認めない点で概念の適応範囲が狭すぎる。提題表示形態素がないからと言って、その文に「題目」がないとは言えない。たとえば、先ほどの「新聞を持ってきてくれ」

 

 したがって、「は」=主題表示本務説は、日本語文一般の説明理論とは言えない。

 ところが、「は」=主題本務説という大前提から導かれた幾つかの理論や命題、たとえば、階層構造理論や、述語に続く「名詞句+は」=「文の主題」とする用語法など、「は」の主題表示本務説に合わせて文法現象を恣意的に鋳型にはめる欠点があり、実際の日本語文の個別の文法現象を説明仕損なっている。「は」と「が」の使い分けが理論的に説明できないことも、その一例である。

 こうして三上説とその後継説を合わせて見ると、一面の局所的真理である「は」の題目表示性にすぎない文法現象の理論を、日本語文の本質論に拡大解釈してしまったと考えられる。それが、総体で部分的な説明力を備え、相互に整合的であることが、かえって仇となり、日本語そのものに備わるリアルな文法現象の理論的研究を阻害した一面さえあると言わざるを得ない。