意識の言語系と認知ー行為系の二元論と両者を媒介する想像領域の世界モデル
1 「言語共同体意識相」
知性の源としての言語を行使する個人の意識モード(相)を言語意識とする。静的である。他者からの伝聞を受け入れて身の回りの行動範囲に限定されない、世代を超え、空間を超えた世界像を構成する。
これを「言語共同体意識相」とする。
予兆としては、別々の自然言語に隔てられたローカルな言語共同意識が何らかの人類言語にとって変わられるべき歴史的必要に呼応して生成する兆しが点在しているかもしれないが、今のところ差しあたっては、インターネットを通じて実行されるコミュニケーションの広がりと直接越境するビジネスマン・留学生・移民労働者・難民・旅行者・密航者などの実践、国境を超えた広がりがあるのだが、これらを、政治的分割線と個別の自然固有言語の壁に遮られている。
2 「認知行動意識相」
身の回りの行動範囲内において、直接身体による個人の活動領域になっている時間と空間は、認知ー行為意識とする。動的である。この内部には、もの対我、汝対我、我々対彼らなどの分岐が含まれる。「環境<ー>直接知覚・認知<ー>行為」の三つに分節される三相の相互作用領域である。
これを「認知行動意識相」とする。
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両者を媒介するのは、「想像力」であるだろう。
個人意識に定位して想像の働きを見てみよう。
3ー1 現在の想像
今ここで知覚可能な範囲の外の世界の空間的広がりを、向こう側に関する想像を働かせている。近い過去同様、記憶に基づく再現。
基本的に、経験則に従い、記憶に従って、自分で直接経験した場所の記憶が未だそこにあると想像するだろう。
これに、知人やメディアなどからの間接情報、伝聞情報があれば更新している。
地理的な社会的集団記憶と個人的記憶は、境界が曖昧なところがあるが、次に述べる過去記憶の社会的構成力による客観性の疑わしさの程度は低い。「現実」に素材する場所鋭気さすれば、捏造情報などは虚偽であることが確認しやすいので、デマ情報も作りにくいからだろう。遠方に関するデマ熱情情報は、むしろ、近い共同体の都合により捏造されるおではないだろうか。
3ー2 過去の想像
生まれた後の個人的体験過去は記憶に基づく再現である。
年齢を加えるに従い、印象の残るエピソードや場所の記憶は再現が困難になったっり、客観性を失い、作り替えた記憶かどうか判然としない場合が生じる。
それ以外の過去は、間接的な情報に基づかざるを得ない。
個人位もたらされる過去の意識の形成は、社会集団の過去記憶の再現が直接見知りのある知人間で共有される場合から、歴史記述や過去に関する資料の参照まで幅広い。
3ー3 将来の想像
将来の想像は、現在の把握、過去の記憶の参照の合成から、価値判断、客観的未来予測の合成として意思的に想像される場合がある。
夢による予知は無意識の願望の発露であるか、情報の総合による不安意識などによる。
現実の個人の能力・可能性に依存して、意思決定に関与する。この点においてヒトの将来・未来の想像は、現在の意思決定にフィードバックする。
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伝統的に理性と感情の矛盾として扱われてきた個人意識内部の相克を、純粋意識と言語意識の二元性問題の扱い方を洗練させる方向で、自然システム(地球上の生態系)の構成要素であり、動物の一種であるヒト、いわゆる知的動物であり、理性的存在であると自認しつつ、段階的に行き着く結果には無自覚に遂行してきたテラフォーミングの惨状を見るなら今のところ合理的ではないところを多く残しているヒトの存立基盤の解明に、こういったアプローチの可能性を考えている。