tadashi's blog

私は在野の研究者です。日本語教師をしながら、日本語の「は」「が」の使い分けを解明する理論に至りました。それから、この理論を文法基礎理論として体系化し、また、それらを裏付ける哲学的かつ科学的に裏付けの研究に進みました。

2020年、わたしの反省。表向きと実際

表向きは、次のようである。

コロナのおかげで、今年は、仕事が極端に減り、空いた時間で、積読していた本、感染症関連の新しく買った本がたくさん読めた。

 

一月は、デフォーにカミュ、それにデカメロン、エプタメロンから始まり、千夜一夜物語紅楼夢聊斎志異、唐宋説話集、源氏物語など。

 

春になって、学術的なのでは、今は初期人類を対象とした雑多な学問分野に興味がありながら、いきなりは難しいので、都市国家、主に、シュメールとインシャオ(中国)の比較から、地中海の古代世界、オリエント史、古代帝国、ペルシャ帝国、アレキサンダー大王の遠征期、秦と漢、インドなどの共通点、相違点を大雑把に掴んだ。そこから逆算して、初期人類の無名の英雄(宗教的、技術的、文化的、政治的に、それぞれ特異な才能を発揮した男女)の時代があったのだろうと想定できるだろう。都市国家の誕生は、最初の記録に残る英雄時代であった感を強くした。

 

何故こんな読書に勤しんだかと言うと、日本語と自然言語一般の交差領域に関する解明に伴って、人間の意識と言語の二元的精神性を軸とした自分なりの科学的人間学の基盤を、歴史的事実性に依拠して検証し、鍛え直すためだった。初期人類の野生=生身の人間たちの社会文化適応とテラフォーミングの果てに今や人新世と言われる現在までの人間性の恒常的な面と変わって良くなったところ悪くなったところを、あたかも自分の目で見るかのように、歴史的文脈に人類を置いて眺めなおしたいと言う願いを叶えるうチャンスだと思ったからだった。

 

こうした研究的な・探究的な読書により、現状の人類自身の内部に潜む危機的条件をどう乗り越えるか指針のようなものがおぼろげに、精度の悪いホログラフのようにというか、なんというか・・・計画倒れに終わった。ここまで書いたのは、始める前の、捕らぬ狸のなんとやら、幻の読書計画!残念!あな口惜しや。

 

・・・で、実際は、どうだったか。そんな、来たるべき人類の新ステージへ至る道標などちっとも見えなかった。読書そのものができなかったんである。おれ、歴史書、向いてない。哲学書のほうがまだ、読める。

 

それほどたくさんの読もうと思った本がほとんど読めなかった。なんでかわからんが、続かなかったのよね〜❤️

チャンス!と思って、2月後半、最初に読み始めたのが、ちくま文庫「人間とは何か」(脳科学のやつ)上下の上の半分くらい。そこで、中央公論の世界の歴史シリーズ17「ヨーロッパ世界の開花」に移り、完読するのに2ヶ月かかって、思うところあって、宮崎市定「中国史」(岩波全書版ー現在文庫入りしてるやつ)これも上下巻の下に入ったところで止まった。韓国語初級から中級へ行こうと思う学習を少し地道にやったのが夏頃だったかなあ。あ、そうそう、このころTandemという言語交換アプリをはじめた勢いで、中国語もやらねば、仕事でもできたほうがいいので、と中国語熱が短期的に発生した。それから、ネットフリックスで韓国TVドラマ、韓国映画を見たり、ラジオ音声アプリラジコで、おもに、TBSラジオの平日番組を聞きながら、サイトの無料ゲームのソリティア、将棋、麻雀をする悪い癖がついた。

 

広瀬隆「日本の植民地政策と我が家の歴史」は、まあ、全部読んだ。あと、神保哲郎のマル激トークオンデマンドで紹介された、「ロッキード疑獄事件」を購入したものの、やっぱり悪い癖のせいで、ちょびっとしか読めてない。

 

体重も、8月暑さのために運動あまりしなくなったのが9月も続いて、当月末にこれまでの体重記録を更新してしまっているのに気がついて、10月は結構、屋内の運動ではあったが、体重を以前の最高水準並みに戻した。11月はまた運動を怠けてしまい、この20日ぐらいは、長い距離を自転車に乗ったり歩いたりしている。

 

というわけで、問題意識ばかりが先走り、世界的感染危機の状況への対応策としておうちで好きな本読んでいてもいいんだなあ、うれしいなあという状況、一歩外に出た時の緊張感と屋内生活の弛緩が一私人である私の心のリアリティを乱し、果たして、時間が、ああもったいない一年を過ごしたと言う結論。

 

来年は戦線縮小、アウトプットできる範囲の読書&研究計画、生活の時間管理、運動、無料のゲームサイトとネットフリックス視聴の最大限の縮小などをします。

 

還暦過ぎて年齢に伴うあれこれの衰えもある模様。