メモ ザハヴィ「フッサールの遺産」を読み始めた。
現象学の暗黙知次元の貢献としては、ことばの用法を根底から転轍したことがあるのでは?(論理から攻める言語哲学隆盛の陰に隠れてあまり表立って主張されない?)
方法的懐疑ではなく方法的判断中止から反省を始めるにあたり、これを継承し新たに展開するにしても、まず、フッサールの用語用例を習得してから。
学部時代、教授から分析派の立場をとって、現象学的主張の直観をどうやって言語で媒介するのかと問われたことがあった。
これに答えるには、フッサールが始めた語と直観を直接リンクしてみるしかない。事後的に分析(哲学)の方法によって
論理的意味論は、批判的に現象学を扱うことも、積極的に整合性を確保することも、どちらも可能だろうと考えられる。
そんな議論もどこかで誰かがもうやってるだろう。
「フッサールの遺産」を、こうした議論のコンテンポラリーなガイド として期待できる。
第3章の冒頭まできて、そう思った。