tadashi's blog

私は在野の研究者です。日本語教師をしながら、日本語の「は」「が」の使い分けを解明する理論に至りました。それから、この理論を文法基礎理論として体系化し、また、それらを裏付ける哲学的かつ科学的に裏付けの研究に進みました。

「事態(出来事)・直観文」の<「が」→「は」交代>による有標化含意分析

以下は、基底文全体の有標化現象を論証するための分析である。

 

「事態(出来事)・直観文」の<「が」→「は」交代>による有標化含意分析

 

 まず、「雨が降っている」という文の助詞の機能に着目する。

 「は」も「が」も入らない「雨 ∅ 降って(い)るよ」という文と比較することで、主格の「雨」、述語の「降って(い)るよ」の間に入る「は」または「が」の形態素としての機能を明確にする。助詞抜きの「雨 ∅ 降って(い)るよ」を基準の文として分析にかかる。

 

a雨[∅]降って(い)る

b雨[が]降って(い)る

c雨[は]ふって(い)る

 

 主格の名詞と動詞述語の結合関係を、「が」「は」との関連の観点により比較する。

 文a と文bの違いは、形態上は、助詞「が」の有無の違いである。だが、文の意味上の違い、あるいは文の機能上の違いは、特に見られない。文脈を無視して文単独で見る限り、文aで表現されている主格と述語の関係について、文bの「が」があることによる違いはない。

 文aの「∅」に機能はないと考えるのが妥当であるから、文aの格関係は、主格の位置にある名詞と述語動詞を並列する結合のみが「主格—述語」関係を示している。

 文bの「が」は、なくてもよい機能しか果たしていない。ということは、文bの「が」は冗長ではあるが、二語間の格関係を変更しない。また、文bの「が」は、文aに上書きするような含意を何も付け加えていない。第1章で確認した「連辞」としての主格と述語の連結を明示する機能だけが認められるが、なくても前後の連結は明白である。よって、なくてもよいという無用の用を果たしているだけである。

 (注:ただし、修飾句や格成分がつく、より長い文になると、他の成分と主格を区別する標識として、「が」は、冗長とは言えない機能を担っている。第1章の「連辞」の説明参照)

 続いて、文cの「は」との比較に入る。

 その前に、文a「あめ ∅ 降って(い)る」、文b「雨がふって(い)る」の発話条件として、三尾ほかにおいても指摘されているが、直接知覚に基づく発話であること、現場状況に依存している場合では、相手に対し、「外を見て」や「洗濯物取り込もう」などの注意喚起という語用論的な発話意図があるだろうということを確認しておきたい。

 それでは、文cの「は」はどうだろうか。

 文a、文bと文cを比べると、形態上の違いによっても、主格と述語の関係は依然として変わっていないが、<「が」→「は」の交代>がもたらす、主格と述語の関係に付け加えられた何かがいくつか考えられる。この付け加えられた何かを文の命題内容を変えずに加えられる「含意」とする。

「が」→「は」による含意付与:「雨は降って(い)るよ」

①文単独では、文a、文bにはなかった「雨が降って(い)る」という事実に関する「判断」の含意付与。

②前後の文脈条件に依存するが、「雪は降っていないが、雨は降って(い)る」というような主格の「雨」を何かと「対比」する含意付与。

③文脈条件によっては、「雨は降って(い)る?」という質問への答えとして「雨は降って(い)るよ」といういわゆる「談話の主題」の取り立て機能。

 

 文cの「は」は、文aと文bの主格と述語の関係を保存しつつも、何らかの含意を上書きしている。その含意は多様であり、

①文単独で、「判断」のような認識過程に関連する含意

②文脈条件による「対比」

③同じく文脈条件による「談話の主題」

が考えられる。

 また、複数の含意の決定は文脈条件に依存し、文のみ単独では決定できないことに注意したい。

 また、①の事実に関する「判断」含意があって初めて、②と③を成立可能にする文脈条件との合成が、新たな含意を生じさせている可能性を示唆している。つまり、①が②、③より基底的であることを示唆している。

 文aの「∅」と文bの「が」の場合と比較して、文cの「は」で生じた多様な含意あるいは機能の付与をまとめて、この場合の「は」には、文全体を「有標化」する機能があるとみなすことができる。

 また、「は」によって有標化されるのは、文a「雨 ∅ 降ってる」と、文b「雨が降ってる」のどちらでもあるから、文a、文bは相対的に無標である。

(注:文全体を有標化する機能を持つ形態は、「は」「が」以外に、「文+のだ」「よ」「ね」もある。「文+のだ」の場合のもっとも根底的な使用条件は、個人的主観の下にある情報を話し相手に開示することである。または、開示していることの話者の自覚の表示である。(この節の「1-3情報の経路と含意発生条件」参照のこと)

 「は」と「が」と「のだ」の含意付与の基盤となる枠組みは、文全体の有標化という点で帰を一にしている。また、文末終助詞の「よ」「ね」にも、伝達上の命題内容に関する文全体の有標化である。

 先ほどの表に、分かったことを付け加え、レイアウトを変更して分かりやすくする。

無標

有標 

a雨[∅] 降って(い)る

b雨[が]降って(い)る

c雨[は]ふって(い)る

 もし、この違いに、「は」と「が」の二項対立があって、文全体に与える機能ならば、そこで生じる無標・有標の発生機序、多様な含意や機能を記述し、このような二項対立の成立条件と分類を明らかにしなければならない。

 しかし、その前に、「事態・直観文」に見た二項対立と思われるのとは異なる二項対立と思われる関係がある。「定性関係・判断文」の有標化含意である。