tadashi's blog

私は在野の研究者です。日本語教師をしながら、日本語の「は」「が」の使い分けを解明する理論に至りました。それから、この理論を文法基礎理論として体系化し、また、それらを裏付ける哲学的かつ科学的に裏付けの研究に進みました。

はじめに⑨ (10)<外国人の視点とチンパンジーの視点>

(10)<外国人の視点とチンパンジーの視点>

 

 この日本語の基礎の理論的解明が進むにしたがって、言語によるコミュニケーションをする人間の意識にとって、自然言語はどのように位置づけられるかについて、筆者の理解も深まった。この点についても概要を示す。

 日本語の基底文を土台に機能する「は」「が」の二項対立の交差現象は、交差による文全体の有標化という記号論的な見方だけではなく、現象学的アプローチと言語哲学的アプローチによって挟撃することによって、よりよく理解できたのである。

 

 冒頭に述べた理論的研究の視点変更、パースペクティブの転換は、実は、二段階に分かれる。

 第一段階は、日本語がわからない外国人の視点に立って日本語を見直すことである。

 このことにより、「雨が降っている」を現象文として把握した三尾砂の理論的解釈、この文と感覚知覚による認識とは一分の隙もないという理解を一歩進めて、分析のメスを入れる。そうすると、日本語の主格と述語とその間に入る「が」の主格表示以外の直観含意付与機能が明らかになる。

 外国人の視点に立つことは、自然言語一般を理解し使用している共通の土台から日本語の基本的な仕組みを理解する地平を開くものである。

 大阪外国語大学の留学生教育に積極的に関わり、誤用分析の機会を生かし、理論的成果につなげたと定評のある寺村秀夫以下、その門下とみなされる研究者の研究についても、じつは、外国人の視点に立って、日本語の自然言語と分けもつ性質を理論的に解明する姿勢が不徹底であった。

 

 第二段階は、第一段階にとって開示された展望に伴う、次のような新たな課題に対応している。

 「は」と「が」の交差対立現象による文全体を有標化する作用と含意発生の機序を解明するには、個人的主観に生じる主観意識・言語意識の相互関係、さらに、そういった個人的主観意識を備える同士のコミュニケーションの基盤となる言語的共同主観意識に関する理論が要請された。

 この部分を裏付けるにあたっては、学問分野横断的に、ゴゲイト&ホリックによる「幼児の言語習得における多重感覚知覚基盤仮説」を前提において考察の起点とし、その着想の元になるギブソン生態学的認識論の知見、松沢哲郎らによるチンパンジーと現生人類の認知を比較する研究、メルロ・ポンティのチンパンジーパースペクティブ癒合説、渡辺慧の「パタン認識」に関する著作に見られる「概念」批判と語の鵺性の指摘を参照した。

 第二段階は、自然言語が分からないチンパンジーの視点に立って、日本語、自然言語一般を見直すことである。

 

 こうした日本語基底文の分析と諸科学の知見の参照全体が志向するのは、生態学的かつ経験主義的な自然言語理論である。