tadashi's blog

私は在野の研究者です。日本語教師をしながら、日本語の「は」「が」の使い分けを解明する理論に至りました。それから、この理論を文法基礎理論として体系化し、また、それらを裏付ける哲学的かつ科学的に裏付けの研究に進みました。

日本語文の体系的文法記述のための文機能分析方法論②

日本語文の体系的文法記述のための文機能分析方法論②

 

  • 2 基底文形式の妥当性の前提:主格、対格などの省略と述語の縮約

 

2-1 日本語文の省略と縮約の実際と理論

 

 繰り返しになるが、日本語の文の最小単位としての機能的形式を、「基底文モデル」として提起するに当たり、文の最下層の機能的形式を取り出す足場を統語レベルの<主格—述語>関係におく。まだ、作業仮説段階であり、この節の議論も未だこの作業仮説の内容を整える準備段階である。

 その準備段階として、前節では、主格—述語の間に入る「は」の「連辞」機能を検討した。

 続いて二番目の準備として、実際の談話例によって、実際の文の中での主格の挙動を確認する。狙いは、主格や対格など、命題構成要素の省略の実態を把握することである。

 

2-1-1 日本語文の省略の理論

 

 日本語の文の実際の現れ方を見ると、文の形式は実に多様であり、一見、形式的な整理が難しいような印象をもつ。たとえば、日常の会話を、文字に書き写して見てみると、お互いの言いたいことをとどこおりなく伝えられている場合でも、基本形式となるような有限個のパタンに分類することは不可能であるかのようである。

 そのような印象を抱かせる主要な原因として、主格や対格、そのほかの命題内容を構成する要素の省略と語順の入れ替え可能な融通性があると考えられる。しかしながら、これらの省略を調べてみると、実際は、文脈上自明なものに限られている。そうでなければ、会話も文章も成立しない。これは、当然である。もし自明でない要素が省略されて、そのせいで文の意味がわからない場合、話の聞き手は、単に、文の発信者に対し聞き返し、命題構成要素の明示を求める質問をして相手から聞き出すことであろう。

 言い換えるなら、「省略されている文の必須要素は、通常、会話での場面的状況や、文脈によって、補充可能である。」これを本書では、<文意味充足原則>と呼ぶことにする。

 ただし、補充が不可能であるが、本書の考察対象から除外すべき可能性が存在する。

 ①話し手の配慮不足により、相手に分かるつもりで、主格や体格などを省略したが、補充すべき要素が相手に与えられ図、文脈からも不明である場合。

 ②自明でない要素を省略するのは、修辞的に聞き手の興味関心を掻き立てるためにわざと伏せる場合、話の劇的効果を高める演出的意図がある場合。

 ③社会的に問題があるが、故意に相手を誤解へと導く作為的な場合。

 ②と③の場合、補充が不可能か困難である。

 以下、念のために、基底文の必須構成要素とする主格や対格が文脈や状況から補充できる範囲に限られることを確認する。

 

2-1-2 日本語文の省略の実際

 

 ここでは、ラジオ番組の会話の断片を取り上げる。

 省略のあるところに*をつけた。すでに言及があり文脈内に登場しているのに、省略していない主格に下線をほどこした。

 

 清水 ①三谷さんのお芝居が終わったそうですね。

 三谷 ②*中井貴一さんと戸田恵子さんの二人芝居「グッドナイト スリイ

     プタイト」ですけど、

    ③*東京公演が終わりまして

    ④今度は、**大阪でやります。

 清水 ⑤また*焼き直しをするわけですか。

 三谷 ⑥**焼き直しとは言いません。

    ⑦**大阪公演*。

 清水 ⑧関西でやるときは関西弁、東北でやる時は東北弁のお芝居があって

     もいいのにね。

 三谷 ⑨まあね。関西弁といえば中井さんは東京生まれの東京育ちなのに関

     西弁が上手なんですよ。

 清水 10 戸田さんも関西弁がお上手だったんじゃないっけ?

 三谷 11 戸田さんは、「なにわバタフライ」という一人芝居を関西弁でや

    ったけど、あの芝居のために勉強したんですよ。

 清水 12 *ミヤコ蝶々さんの半生記ですからね。

    13 *標準語じゃ違和感あるもんね。

「たてつく二人」(三谷幸喜清水ミチコ

 

 述語に対して、主格や対格、またその他の要素が省略されているところを、   状況や文脈によって補充できることを示す。

省略の補充

 ② 「それは」             主格+は 既出の話題

 ③ 「その」(東京公演)     限定詞  既出の話題

 ④ 「私たちは」           主格+は 状況にいる話者・一人称

   「それ・その芝居を」   対格+を 既出の話題

 ⑤ 「三谷さんは 」         主格+は 状況にいる話者・二人称

 ⑥ 「私たちは」           主格+は 状況にいる話者・一人称

   「それを」             対格+を 既出の話題

 ⑦ 「私(たち)は」       主格+は 状況にいる話者・一人称

   「それを」             対格+を 既出の話題

   (大阪公演)と言います。述語動詞 既出の話題

 

 省略されている要素は、文内での要素としては、主格、対格、名詞句につく限定詞、動詞述語である。

 補充元は、話題に上ったものか、話し手自身か、話し相手である。

 今後、省略項目の補充元は、前者を、「談話文脈からの補充」、後者を「状況からの補充」と呼ぶことにする。この例にはないが、「状況からの補充」は、話し手と聞き手だけではなく、会話の参加者の眼前にある「もの」「ひと」などの現認の対象や、出来事、つまり、ある対象に起きた変化も含む。

 これらの省略は、もし英語であれば、代名詞it, they、人称代名詞I, we, he, she, theyなどとして文中に現れるような要素である。また、限定詞の省略は、定冠詞theがつく。いずれも文脈により自明な内容語があることを、代名詞または冠詞が表示している。

 談話例中、一人称や二人称の省略も見られるが、言語類型論では、チョクトー語の代名詞ano「私」の省略(p54)、ワルピリ語(p103)に同様の省略現象が見られ、言語の外在的な経済性として説明されている。(「言語類型論入門」リンゼイリーウエイリー)

 

 次に、談話文脈内に既出であるが、自明性が劣るので省略しなかったと思われる要素を確認する。

 ⑨「中井さんは」

 省略しなかった理由は、役者として二人が話題にのぼり、そのどちらであるか明示しないとわかりにくいからであると考えられる。

 10・11の「戸田さんは」も同様の理由が考えられる。

 

2-1-3 主格の代理要素:構文上の主語

 

 ところで、日本語の「主語」の理論的な確定可能性を文法研究の文脈で論じる場合、次のような例文が「主語」確定の困難な例としてあげられることがある。

 

 11)「宮内庁では 今 花嫁候補を 探しておられます」

 12)「お父さんから 少し 小言を おっしゃってくださいよ」

 (ともに「日本語文法事典」主語2の項目の3。角田執筆担当箇所)

 このような例を引いて、角田は、「宮内庁では」「お父さんから」の部分が、主格ではないが「主語」の要件を満たすとしている。その理由は、「日本語において、尊敬語、再帰代名詞、省略の全ての振る舞いを持った名詞句が主語の原型であると言える」からだとしている。

 わたしは、「宮内庁〜」の例では、「探す」の具体的主格にあたるが直接指示を避けた不定の<ひと>の存在を、「機関+では」が含意していると考える。これも<文意味充足原則>の適応である。

他言語にこれに類似の例を求めるならば、フランス語の不定人称詞onがあると言えるだろう。

 日本語では、このような自然な推論を誘発する形態素はふたつある。

 ひとつは、述語である。この述語動詞「探して(おられます)」が主格と対格をすくなくともひとつとる動詞であり、対格は明示されていて、主格を指示する成分がない。そこで「誰か」が省略されている文であると解釈せざるを得ないだろう。

 もうひとつは、「宮内庁では」である。これが、「(誰かが)募集しておられます」に先行して示されている。この「機関+で」を機関・施設的な場所格の「で」と解釈すると、省略された主格「誰か+が」(「ある人+が」)は、この機関「宮内庁」に関係のある<ひと>であろうとする自然な推論が成立する。言うまでもなく、述語動詞の意味による範列的規制により、「ひと」ではなく「もの」は入りにくい。

 二つの形態素とその文内で結合された意味に関し発動した、このような自然な推論は、意識的自発的であるというよりは、無意識的自動的である。このような直観を誘発した直接原因は、二つの形態素が文内に特定の結合関係に配置されていることである。

 文によって「連想」や「想像」「類推」または「自然推論」が、文の受信者に引き起こされると考えられる。

 これと同じことが、文の発信者についても引き起こされる。

 文の発信者は、「宮内庁で」によってすでに示唆しているので、不定の人称詞を確定しようとすれば「担当者」などにあたる適切な指示詞を知っているかいないかにかかわらず、冗長性を避けて、主格成分を省略したと考えられる。

 いわば主格の代理となる構成要素の存在によって、「言及したのも同然の」主格要素の省略が、冗長性を避けた言語外的経済性によって容認されるという解釈が可能である。

 11)「宮内庁では 今 花嫁候補を 探しておられます」(状況語として「宮内庁」を出したので、主格に当たる「ひと」成分が省略された。)

 これは、「基底文」(主格+は/が+述語)からの派生形と見ると、構文の主語=「宮内庁では」=文全体での意味役割は主格の「ひと」が所属先を示す。

 

 「宮内庁 今 花嫁候補を 探しておられます」

 (「宮内庁が」=主格主語=構文の主語)

 「宮内庁 今 花嫁候補を 探しておられます」

 (「宮内庁は」=主格主語=構文の主語)

 「宮内庁では 今 しかるべき担当官が 花嫁候補を 探しておられます」

 (「宮内庁では」=状況語、「しかるべき担当官が」=主格主語=構文の主語)

 

 状況語としたのは、「とき」、「場所」、「条件」など、基底文「主格+は/が+述語」の成立する意味場を限定する役割を担う。

 本書の最終的な結論に基づく内容を、かなり、先走って述べたが、このような方針により、日本語のフレキシビリティを生かす基本構文の考え方を示した。

「主格主語」がそのまま「構文上の主語」になる場合と、それ以外の「主格主語」の代理になれるか示唆する要素を「構文上の主語」として認める。

 こういった「基底文」の派生形としての「基本構文」は、母語話者にとって構文図式として定着したものと考えている。「XはYがZ」になる構文図式も、そのように説明ができる。

 注)なお、「宮内庁では」の「は」について、丹羽哲也(2004:「単純提示用法の「は」について」)は「単純提示」の「は」として、「文の主題」とは異なる機能として指摘している。本書の本論との関連では、この「は」は、「が」と入れ替えができないので「主格主語」ではないことが重要である。注終わり)

 

2-1-4 縮約

 次に、⑦のような「述語の縮約」に触れておかねばならない。

 

13)「(わたしたちは)(それを)大阪公演(と言います)」

 

 一語文であるが、<意味充足原則>を適用し、埋め込み構文として解釈すると、「わたしたちは“それを大阪公演”と言います」内容語で数えて、3成分が省略されているという解釈が成立する。こういう場合は、文脈との整合性があれば、補う成分はひとつとは限らない。また、埋め込み文ではない解釈も成立する。

 

14)「(それは)大阪公演(です)」という解釈も成立する。

 

 <意味充足原則>を満たした上でも、省略には、複数の解釈の余地が生じることがある。

 

 有名な「ぼくはうなぎだ」について、すでに、多数の研究者が論じているが、「僕が注文したのはうなぎだ」でも、「ぼくは/がうなぎを注文した」でも、両方の解釈が成立する。どちらかを排除し、決定することは不可能であるし、また、その必要もない。少なくとも、本書の「基底文モデル」に基づく「基本構文」の理論では、両方の解釈が容認できる。

 助詞「は」を含む文、「辞書は机の上だ」は、「辞書は机の上にある」の「ある」の縮約とも考えられるが、別の解釈案としては、母語話者に定着した基本構文図式(<もの>+は+<位置名詞>+だ)の運用として、定着した別個のものだとも考えられる。

 「日本語の基本構文」とは何か、それをどのように決定できるか、という問題を扱う前提として、述語の「縮約」ともみなすことができる現象を考慮すべきである。

 ちなみに、こんにちの日本語研究の文脈では、「構文」といえば、「〜ている・〜てある」「ことがある」「〜てもいい」などを指すことが通常である。こうした「構文」は、本書が目指す、あらゆるディスコースの雛形となるべき「基本構文」の観点からすると、基本構文から派生した構文とみなすことができる。

 「基本構文」は、純粋に形式的に「XはY」「XがY」「XはYがZ」の三つに限られ、主格—述語の置かれ方などの見地からタイプを区別し、可能なタイプを網羅的に数え上げたリスト形式によって示すことになる。(後述)

 ここで示そうとしている、文脈を考慮した<意味充足原則>は、基本構文を整序する基底文の主格の常在性に根拠を与えるものである。

 この論題に関連して、「わたし宮川ともうします」のような文のあつかいで、「は」を取り立て機能を担う助詞とする見解がある。この場合、「わたし宮川です」との「わたし」「宮川」の意味関係の類比から、後者の「は」を連辞の「は」、基底文の「定性関係判断文」の「は」とする見方が有力であると思われる。

 

2-1-5-1 省略・縮約に関する文意味充足原則

 

 以上の考察を踏まえ、文意味充足原則を明記する。

 

  • 「主節の述語に対する主格(または対格)の省略および、述語の縮約は、文脈や状況、または同じ文内の類推を可能にする成分の存在という条件により、補充可能な自明な要素、あるいは類推可能な要素に限られる。このような条件を満たさない文は、意味を充足する必要な成分が欠けている非文である」

 

 これを<文意味充足原則>とする。

 理論的関心から日本語の文を分析する場合、日本語の文の実際の運用上生じる、このような文脈依存性による形式的融通性をあらかじめ考慮しなければならない。

 

 <意味充足>の一般的な原則を述べ終えたので、<意味充足の原則>と本論で扱う論点との関連に話を移す。

 

 「頭が痛い」は、通常、「誰の」「誰は」がない場合、「わたしは頭が痛い」の「わたしは」が省略されているものと解釈されて、通用している。これは、実際の日本語使用者にとって自明である。あまりに自明であるために、日本語文法研究者に見過ごされてきたのかもしれない。

 ところで、このような場面密着型の文脈からの意味補充文では、名詞句「頭」は特定の名詞句「私の(話者の)頭」である。「が」を使うことが「眼前の出来事を述べる場合に」構文制約条件になる「雨が降っている」などの分析と同列の要件を備えている。

 知覚文、「星が見える」は、場面状況によっては、「わたしには」または「ここからは」など、主格(「わたし」)や状況語(「ここから」)が明示されていない以上、<文意味充足原則>による主格または場所格になるべき要素には幅がある。とはいえ、原則としてまず省略された成分を文脈や状況から補って、理論的分析の対象とすべきである。

 分析技術上の手続きとして重要であり、かつ、文の機能の本領が命題内容を構成することにあり、<文意味充足原則>を満たさなければ文とは言えないという文機能の本質に関わる認識に基づいて、文法の理論的把握、個別具体的な文の分析を遂行してきた。

 また、<文意味充足原則>に文脈との合成による意味解釈が必須であることは、おそらく、多くの日本語研究者の想定以上に重要であると思われる。ここでは、簡単に、次のように述べるにとどめる。日本語文の基本的な仕組みに限り十分な理解を得るためにも、いかなる文の分析も文脈との関連をはずすことはできない。

 ダイクシスの観点から、文中に現れる「いま」「ここ」が具体的にどの「いま」か、どの「ここ」を指示しているかを知るには、文脈を考慮すべきである。しかしながら、ダイクシスだけではなく、「は」と「が」の使い分けの観点からも、名詞句の定・不定の区別、さらに本書の交差対立による有標文の含意決定にも、広義の文脈が、直接関連がある。

 すでに示したように、「頭が痛い」の誰の頭が痛いのかを決定しているのは、省略による解釈指定、限定詞がつかない場合、状況文脈から意味を補充せよという外部経済性による準文法的側面を織り込まなければならなかった。

 また、「明日行くよ」にも同様に、主格脱落の場合、話者(=わたし)を主格成分として補充するという<文意味補充原則>が効いている。

 母語話者は、これらを自動的に文法的直感によってスムーズに運用できている。この暗黙の原理がなければ、母語話者同士のコミュニケーションはうまくいかなくなるだろう。なぜなら、主格が不明なままでは、意味的世界と文との対応関係が成立しなくなるからである。